小人窮すれば斯に濫る
我々の魂は、現生に修行をするために生まれてきたのだということを書きました。私の好きな孔子の言葉があってずっと覚えているのですが、この言葉も人生での修行に関連しているなと思いました。
孔子は道を説き、理想の政治を実現するために弟子たちとともに諸国を回りますが、職を得ることができず食べるものもなくなってしまいます。そんな時、弟子のひとりである子路が義憤に駆られて孔子に言うのです。君子も亦た窮すること有るか(先生のような君子でも、困窮することがあるのですか??)。それに対する孔子の言葉。
君子固より窮す。小人窮すれば斯に濫る。
(もちろん君子でも困窮することはある。しかし、小人は困窮すれば取り乱してしまう。)
論語より
この言葉を知ったのは、大学生の時に井上靖さんの「孔子」を読んだ時と思います。その時以来、職もなく食べるものもなくなった孔子が、それでも背筋を伸ばしている姿が思い浮かびます。孔子も頑張ってたんじゃ~ん、という感じです。「困窮する」ことも含めて自分の人生の課題だと。それに取り乱されることなく対峙するのだという孔子の意地が感じられます。
同じような意味合いで、覚えている別の言葉があります。長距離ランナーの言葉として、村上春樹さんの著書の中で紹介されている言葉です。
Pain is inevitable, Suffering is optional
(痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第))
村上春樹 「走ることについて語るときに僕の語ること」より
長距離を走っているのだから苦痛があるのは当然である、でもそれで「もうだめだ」と思うかどうかはオプションである(自分で決められることである)ということですね。生きているのだから人生が苦しいのは当然である、それに心悩まされてダウンするか、何とか前向きに生き抜くかは自分次第である、という風に私は読み替えます。
こういった言葉は胸に刺さって、よく覚えています。冬眠前のリスのようにこういった言葉を自分の中にため込んで、つらい時期に備えているのですかね。